ADHDのことを調べて、片づけがうまくいかない理由も、なんとなく分かってきた。
それなのに、できない。
そして「分かってるならやればいいじゃん」「それ、ただの甘えでしょ」と言われる。いちばんつらいのは、たぶんここなんですよね。知らないからできないんじゃない。知っていても、できない。その距離に、自分でも戸惑っているのに。
この記事は、ADHDと片づけのことで自分を責めてきた人、家族のことが心配で調べている人に向けて書いています。「こうすれば片づきます」というハウツーの記事ではありません。その前に、ずっと肩にのっていた「甘え」という言葉を、いったん下ろしてみませんか、という話です。
「ADHDだから」は、檻にもなるし、地図にもなる
ADHDという言葉を、あなたはどう持っているでしょうか。
同じ「ADHDだから」でも、持ち方で意味が正反対になることがあります。
ひとつは、自分を閉じこめる檻としての「ADHDだから」。「ADHDだから、どうせ私は片づけられない」「ADHDだから、何をやってもダメだ」。この持ち方だと、ADHDという言葉が、自分の可能性に蓋をしてしまう。
もうひとつは、自分の歩き方を知る地図としての「ADHDだから」。「ADHDだから、こういう手順は私には合わないんだな」「ADHDだから、見えない場所にしまうとなかったことになるんだな」。この持ち方だと、同じ言葉が、自分に合うやり方を探すための手がかりになる。
不思議ですよね。言葉は同じなのに、持ち方しだいで、自分を縛るものにも、自分を助けるものにもなる。
「ADHDだから」を檻にしているのは、たいてい、その人自身じゃないんです。外から来た言葉が、いつのまにか内側に住みついている。その代表が「甘え」という言葉だと、私は思っています。
「甘え」という言葉は、どこから来たのか
「片づけられないのは甘えだ」という言葉を、あなたは最初から自分で思いついたでしょうか。
たぶん、違いますよね。子どものころに言われたかもしれない。学校で、家庭で、職場で、誰かに言われた。あるいは、はっきり言われなくても、「ちゃんとした大人は片づけられて当然」という空気の中で、できない自分を「これは甘えなんだ」と自分で名づけてきたのかもしれない。
つまり「甘え」は、もともと外からやってきた言葉です。それが何度も繰り返されるうちに、自分の声みたいになって、内側に居座る。心理学では、外から来た評価が自分の声のように感じられることがある、と言われたりします。「甘え」という言葉も、そうやって自分の中に取り込まれてしまった、外からの声なんです。
「甘え」という言葉がほんとうかどうかは、ここでは、どうでもいいんです。それより思い出してみてほしいのは、その言葉が、いつ・誰から来たのか、のほうです。
自分で思いついた言葉だと思っていたものが、実は外から渡されたものだった。そう気づくだけで、少し距離が取れます。距離が取れると、その言葉を握りしめている手を、ほんの少しゆるめられる。
知っていることと、できることは、別
それでも、こう思うかもしれません。「でも実際、知ってるのにできないんだから、やっぱり甘えなんじゃないの」と。
知っていることと、できることは、別のものです。
たとえば、自転車の乗り方を言葉で全部知っている人がいたとして、その人がいきなり乗れるかというと、乗れない。泳ぎ方を本で読んで暗記しても、水に入ったら沈む。知識と、実際にできることのあいだには、いつだって距離があります。これは誰にでもあることで、ADHDかどうかとは関係ありません。そして、その距離の開き方は、人によって違います。
ADHDの特性がある人にとって、片づけはこの距離が特に開きやすい場面のひとつだと言われます。「どこから手をつければいいか分からなくなる」「片づけはじめたのに別のことに気を取られる」「いるものといらないものを分けようとすると、頭の中がいっぱいになる」。こういうことが起きやすい。
これは、やる気の問題でも、人格の問題でもありません。脳の使い方の、ひとつのかたちです。その人に合う手順と合わない手順がある。多くの片づけ術が「合わない」のは、あなたがダメだからじゃなくて、その術がたまたまあなたの歩き方に合っていなかった、というだけのことだったりします。
だから「知ってるのにできない」のは、甘えじゃない。知識とできることのあいだに距離があるのは当たり前で、その距離を「甘え」という言葉で埋めさせられてきただけ、なんですよね。
「ADHDだから」を、地図のほうに持ち替える
「甘え」は外から来た言葉だった。知っていることとできることは別だった。だとしたら、あなたが今までできなかったのは、あなたのせいじゃない。
そのうえで、もしよかったら。「ADHDだから」を、檻ではなく地図のほうに、持ち替えてみてほしいんです。
「ADHDだから、できない」ではなく、「ADHDだから、私はこういうやり方のほうが合うのかもしれない」。この特性を、自分を責める理由にするのではなく、自分の歩き方を知る手がかりにする。同じ言葉でも、向きが変わると、ずいぶん景色が変わります。
その先にある「じゃあ、どんなやり方なら合うんだろう」は、ここではお話しません。。あなたに合うやり方は、あなたの暮らしの中にしかないからです。そして、それを一緒に探すための話は、本をご覧いただけたらと思います。
この記事は、たくさんある言葉のひとつだけ
この記事で扱ったのは、あなたを責めてきた言葉の、ほんのひとつです。
「片づけられない」をめぐる言葉は、ほかにもたくさんあります。ADHDだから、”ゴミ屋敷”、捨てられない、だらしない、主婦なのに……。そのどれもが、いつ・誰によって・なぜ作られたのか。そして、その言葉と、どう付き合っていけばいいのか。
10月に発売予定の本『「片づけられない」は、誰が決めたのか』では、13の言葉を一つずつ、ていねいに読み解いています。「ADHDだから」という言葉が、いつから・どんなふうに人を責める道具になっていったのか。その歴史と、向き合い方と、ひとりで抱えなくてもいいこと。あなたを責める道具になっていた言葉が、もう少しだけ、軽くなるように。
この秋10月、Kindleで発売予定です
『「片づけられない」は、誰が決めたのか』
あなたを責める13の言葉を、片づけのプロが読み解く

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。




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