丁寧な暮らしに、あこがれて始めた。
物を減らして、お気に入りだけに囲まれて、すっきり暮らす。素敵だと思った。でも、やってみたら、なんだか疲れている。
減らしても減らしても「まだ多い気がする」。SNSを開けば、もっと持ち物の少ない人がいて、もっと整った部屋がある。自分の暮らしが、急に雑なものに見えてくる。気づいたら、丁寧に暮らすために、丁寧に疲れている。
この記事は、丁寧な暮らしやミニマリストにあこがれて始めたのに、いつのまにかしんどくなってしまった人に向けて書いています。「正しいミニマリストのやり方」を教える記事ではありません。その前に、いつのまにか肩にのっていた「少ないほうがえらい」という物差しがそもそもどこから来たのかを見てみます。
あなたが疲れているのは、至らないからじゃない
丁寧な暮らしに疲れたのは、あなたの根気が足りないからでも、向いていないからでもありません。
疲れる仕組みが、ちゃんとあるんです。「丁寧な暮らし」も「ミニマリスト」も、ゴールがどこにあるのか、誰も決めてくれない。物がいくつになったら合格、という線がない。だから、いつまでも「まだ足りない」「まだ整っていない」が続く。終わりのないテストを、ひとりで受け続けているようなものなんですよね。
しかも、その理想は日々更新されます。去年すっきりしていた部屋が、今年見ると物が多く見える。自分は何も変わっていないのに、外の基準のほうが先に動いていく。これでは、追いつけるはずがない。
疲れて当たり前なんです。あなたがダメなんじゃなくて、ゴールのない競争に、いつのまにか巻き込まれていただけ。
「足りない」という感覚は、どこから来たのか
「うちはまだ物が多い」「もっと減らさなきゃ」。その”足りなさ”の感覚を、あなたは最初から自分の中に持っていたでしょうか。
「まだ足りない」と感じながら生まれてきた赤ちゃんは、いないはずです。どこかで、見て、聞いて、覚えた感覚なんですよね。
「あなたには、まだ足りないものがある」というメッセージは、ずっと昔から、何かを売るためのいちばん基本の手口でした。今のままでは不十分だと思わせて、それを埋める商品を差し出す。広告という仕組みは、そうやって人の「足りなさ」を作っては、満たすものを売ってきた歴史があります。
おもしろいのは、これは「もっと持ちなさい」のときも、「もっと減らしなさい」のときも、同じだということ。たくさん持つことが豊かさの証だった時代もあれば、少なく持つことが洗練の証になる時代もある。向きは正反対なのに、どちらも「今のあなたでは足りない」と感じさせる点は、そっくりなんです。
つまり「まだ足りない」という感覚は、あなたが勝手に思いついたものではなくて、外から繰り返し届けられて、いつのまにか自分の声みたいになったもの。それが、丁寧な暮らしやミニマリストという言葉に、きれいに乗っかっているだけなのかもしれません。
ここで大事なのは、その感覚が正しいかどうか、ではありません。その”足りなさ”が、どこから来たのかを、いったん思い出してみること。自分の本音だと思っていたものが、実は外から渡された物差しだった。そう気づくだけで、握りしめていた手が、ほんの少しゆるみます。
「丁寧」も「ミニマリスト」も、ただのレッテル
ここで、ちょっと言葉そのものを見てみたいんです。
「丁寧な暮らし」「ミニマリスト」。よく考えると、ずいぶん大きな言葉ですよね。何をしたら丁寧で、何個まで減らしたらミニマリストなのか、決まった答えはありません。なのに、この言葉を自分に貼ると、急に「そうあらねば」という命令に変わる。
たとえば、忙しい朝にパンをかじりながら子どもを送り出すのは、丁寧じゃないんでしょうか。お気に入りに囲まれているけれど物は人より多い暮らしは、ミニマリストじゃないから劣っているんでしょうか。
そんなことはないですよね。「丁寧」も「ミニマリスト」も、誰かが作って、誰かが広めた、ひとつのスタイルの名前にすぎません。あなたの暮らしの価値を測る、絶対の物差しではない。
レッテルって、貼られると、いつのまにか中身のほうを合わせにいってしまう。本当はあなたに合った暮らしがあるはずなのに、「ミニマリストっぽいか」「丁寧に見えるか」のほうを先に気にしてしまう。そうやって、自分の暮らしなのに、外から採点される側に回ってしまうんです。
100人いれば、心地いい物の量は100通りあります。少ないほうがえらいわけでも、多いほうが豊かなわけでもない。あなたにとってちょうどいい量は、ランキングの中にはなくて、あなたの暮らしの手ざわりの中にしかありません。
物差しをいったん手放してみる
“足りなさ”は外から作られたものだった。「丁寧」も「ミニマリスト」も、絶対の正解じゃなくて、ただのスタイルの名前だった。だとしたら、あなたが疲れているのは、至らないからじゃなくて、物差しの側がきつすぎただけ、なんですよね。
だから、もしよかったら。「もっと減らさなきゃ」「もっと丁寧にしなきゃ」という物差しを、いったん手放してみてほしいんです。
減らすこと自体が悪いわけではありません。少ない物で気持ちよく暮らせるなら、それはそれで素敵です。問題は、量そのものではなくて、「少ないほうがえらい」という採点に、あなたが追われていること。その採点表を一度わきに置くと、「自分は本当はどのくらいの量が心地いいんだろう」という、自分の声が聞こえてきます。
じゃあ、私にとってちょうどいい暮らしって何だろう。その続きは、この記事では書きません。答えが、ランキングの上ではなくて、あなたの毎日の中にしかないからです。
あなたを追いたてる言葉は、ほかにもある
この記事で扱ったのは、あなたを縛ってきた言葉の、ほんの一つです。
「片づけられない」「ちゃんとできていない」をめぐる言葉は、ほかにもたくさんあります。丁寧な暮らし、ミニマリスト、ADHDだから、”ゴミ屋敷”、捨てられない、主婦なのに。そのどれもが、いつ・誰によって・なぜ作られたのか。そして、その言葉と、どう付き合っていけばいいのか。
10月に発売予定の本『「片づけられない」は、誰が決めたのか』では、13の言葉を一つずつ、ていねいに読み解いています。「丁寧な暮らし」や「ミニマリスト」という理想が、いつから・どんなふうに人を追いつめる物差しになっていったのか。読み終わるころに、あの物差しを、そろそろ返してしまえるように。
この秋10月、Kindleで発売予定です
『「片づけられない」は、誰が決めたのか』
あなたを責める13の言葉を、片づけのプロが読み解く

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。




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