家事ができないストレスの正体は、あなた一人の話じゃない ST05

「家のことは全部わたしの担当ってことに、いつのまにかなってました」と言われることが、オーガナイズの現場で何度もありました。

誰かに頼まれたわけでも話し合って決めたわけでもないのに、気がついたら洗濯も食事もゴミ出しも季節の入れ替えも、家じゅうのこまごましたことが自分の手のなかにある。夕方には体が重たくて椅子から立てない日もあるのに、散らかった部屋が目に入ると「主婦なのに、これくらいできないなんて」という声が頭のなかでする。家族は「べつに散らかっててもいいじゃない」と言ってくれるけれど、気にしているのが自分だけだと思うとそれがまたしんどいのだそうです。

この記事は家事ができないことでストレスを抱えて自分を責めてきた人に向けて書いています。専業でも働きながらでも、家のことを主に担っているのが誰であっても同じです。

「当然」の中身を並べてみる

「主婦なんだから、家のことができて当然」と言うときの「家のこと」は、中身を並べるとかなりの量です。料理は献立を考えて買い物に行き作って片づけるところまでが一続きで、洗濯は洗って干してたたんでしまうところまであります。掃除もゴミの分別も日用品の補充も家族の予定の管理も、ぜんぶ「家のこと」のひとくくりに入っています。

一つひとつが手間も時間もかかる仕事なのに、たいていの家では無言のうちに一人に寄せられています。誰もやらないから結局その人がやり、やるのが当たり前になると誰も気に留めなくなる。やってあることには気づかれず、やれなかったときだけ「あれ、まだやってないの」と言われます。

片づけが進まないお宅の多くは、その人の段取りが悪いのではなく、一人の手に対して回すべきことが多すぎるんです。二人で分ければ回ったかもしれない量を一人でやろうとしてどこかでこぼれ、そのこぼれた一点だけを見て「できていない」と言われる。手際の問題に見えて、ほんとうは誰がどれを持つかという配分の問題です。

「主婦なら家事して当然」は、自然にあったものではない

女が家を守って男が外で働くのは昔からの自然な姿だと思っている人は多いと思います。でも家を整えるのが女性のいちばんの務めだという考え方が広まりはじめたのは、いまから百年と少し前です。それ以前は家の仕事と外の仕事の境目がもっと曖昧で、家族みんなで田畑や商いを回している家がふつうにありました。

その時代に「良い妻であり良い母であることが女性のいちばん大切な役割だ」という考え方が教育や婦人向けの雑誌を通じてくり返し説かれるようになります。雑誌は毎号のように整った家や行き届いた食卓を描き、読んだ人たちが「こうあるべきなんだ」と少しずつ自分のなかに取りこんでいきました。

それでも、すぐに全員が受け入れたわけではありません。七十年ほど前には、女性が結婚して家事に専念するのは本当にいいことなのかが、雑誌の誌面でまじめに議論されていました。いま「当然」だと思われていることは、ずっと前から当然だったわけではなく、ある時期に作られてからみんなが疑わなくなったものです。

家事にはお給料も出ないので、その量は見えにくく数えられないまま特定の人のところに集まってきました。「主婦なのに片づけられない」と自分を責めるとき、あなたが向き合っているのはあなた一人の手際ではなく長いあいだ続いてきたこの仕組みの一部です。

役割を否定したいわけではない

家を整えることに誇りや喜びを感じている人もいれば、家族のために食事を作るのが自分の大事な仕事だと思っている人もいます。誰かの暮らしを支える働きには、心から敬意を持っています。

問題にしたいのは役割そのものではなく、その役割が「あなたが選んだもの」ではなく「あなたが当然やるべきもの」にされていることと、できない部分だけを取り出して「主婦なのに」と人格まで値引きされてしまうことです。

家のことを主に担っているのが男性の家庭もあるし、一人で家のすべてを回している人もいます。誰であっても一人に全部を背負わせる仕組みのなかでは同じ重さがのしかかります。

「全部わたし」を、少しずつ手放す

いきなり「家族で平等に分担しましょう」と話し合うのは、それ自体にすごくエネルギーがいるので、もっと小さいところから始めてかまいません。

まず、いま自分がやっていることを頭のなかで一度ぜんぶ並べてみてください。料理・洗濯・掃除・買い出し・ゴミ・子どもの予定などを並べると、たいていの人が「こんなにあったの」と驚きます。できなかった一点だけが見えていたのが、すでに山ほどのことをこなしているという事実のほうに目が向くようになります。

そのうえで余力があれば、一つだけ「これは本当にわたしがやらなきゃいけないことだろうか」と問い直してみる。たとえば洗濯物は家族それぞれが自分の分を自分のかごに放りこんでおくくらいでもいいし、玄関に置いたゴミ袋は出かける家族が持って出る形にしてもいい。何十とある仕事のうち、ひとつかふたつを自分の手から離すくらいの小ささで始めます。

もうひとつ、「手伝ってもらう」と思わなくていいんです。「手伝う」という言葉には、本来はわたしの仕事であなたは少し手を貸しているだけという前提が入っています。家のことはそこに暮らしている人みんなのものなので、もともと一緒のものを一緒にやるという感覚に少しずつ置き換えていけば十分です。

これだけは自分の手でやりたいと思えることは誇りを持って続ければいいし、誰がやってもいいと思えることは少しずつほかの人にゆだねていく。どれを持ち続けてどれを置くかは、あなたが決めていいんです。

本では、13の言葉を一つずつ読み解いています

「主婦なのに」は、片づけをめぐって人を責めてきた言葉のひとつです。10月3日に発売する本『片づけられない自分を、だめだと思う前に』では、「だらしない」「捨てられない」「意志が弱い」といった13の言葉がどこから来て、どうして人を責める言葉になったのかを一つずつ読み解いています。

第7章「主婦なのに」ではこの記事の話を、現場で聞いてきた声とあわせてもう少し詳しく書きました。


10月3日、Kindleで発売します

『片づけられない自分を、だめだと思う前に』
「だらしない」「意志が弱い」「ADHDだから」…そう言われて疲れた人へ

吉村 あきこ

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。

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