家事ができないストレスの正体は、あなた一人の話じゃない ST05

家事がうまく回らなくて、しんどい。

それなのに「主婦なんだから、これくらいできて当たり前でしょ」と言われる。あるいは誰にも言われていなくても、自分で自分にそう言ってしまう。

たぶん、いちばん重いのはここなんですよね。家事が大変だということ以上に、「これができない自分はダメだ」という気持ちが、毎日少しずつ積もっていく。

この記事は、家事ができないことでストレスを抱えて、自分を責めてきた人に向けて書いています。あなたが主婦であってもなくても、家事の担い手が誰であっても、です。「こうすれば家事が回ります」というハウツーの記事ではありません。その前に、ずっと肩にのっていた「主婦なのに」という言葉を、いったん下ろしてみませんか、という話です。

「家事ができて当たり前」は、いつからの話だろう

「家事は、できて当たり前のもの」。この感覚を、あなたはいつ手に入れたでしょうか。

たぶん、自分で考えて結論を出したわけじゃないですよね。気づいたときには、もうそこにあった。テレビの中でも、まわりの会話の中でも、家事がきちんと回っている暮らしが「ふつう」として映っていて、できないほうが「ちゃんとしていない」ことになっていた。

でも、家事が今みたいに「これだけのことを、これくらいの水準でやって当たり前」とされるようになったのは、実はそんなに昔の話ではありません。

掃除機も洗濯機もなかった時代、家事はもっと違う形でした。家電が増えて道具は便利になったのに、求められる暮らしの水準はむしろ上がっていった、とも言われます。この食い違いの中で、「できて当たり前」という空気だけが残っていったんですよね。

つまり「主婦なのに家事ができて当然」は、ずっと昔から決まっていた自然なことではなくて、ある時期に、ある事情の中で作られてきた感覚なんです。

「主婦なのに」という言葉は、どこから来たのか

もし「主婦なのに」という言葉が、あなたの中にも居座っているとしたら。その言葉、誰の声で再生されますか。

実家の誰かの声かもしれないし、結婚してから言われた一言かもしれない。テレビやネットの「丁寧な暮らし」を眺めているうちに、しみこんだ声かもしれない。あるいは、はっきり言われなくても、「家のことは、その役割の人がちゃんとやるもの」という空気の中で、できない自分を「私が至らないからだ」と自分で名づけてきたのかもしれない。

そもそも、家事を「誰がやるか」も、ずっと決まっていたわけではありません。「家のことは、特定の誰かがやるもの」という割り振りも、長い歴史の中で作られてきたものの一つです。今は、いろんな形の家庭があります。一人で暮らす人、分担している家庭、得意なほうがやる家庭。家事の担い手は、家の数だけ違っていい。「主婦=この人がやって当たり前」という前提そのものが、もう一度問い直されていい時期に来ているんだと思います。

だから「主婦なのに」という言葉は、もともと外からやってきたものです。それが何度も繰り返されるうちに、自分の声みたいになって、内側に居座る。本当は社会の側で作られてきた基準なのに、いつのまにか「私の問題」になっている。

ここで大事なのは、その言葉が正しいかどうか、ではありません。その言葉が、いつ・どこから来たのか。自分で思いついた基準だと思っていたものが、実は外から渡されたものだった。そう気づくだけで、少し距離が取れます。

あなた一人で背負う話じゃない

それでも「でも実際、できてないのは私だし、ストレスを感じてるのも私なんだから、やっぱり私の問題でしょう」と思うかもしれません。

ここを、ていねいに話したいんです。

家事ができなくてストレスを感じている。それ自体は、本当のことです。困っているのも、しんどいのも、あなたの中で確かに起きていること。そこを「気のせい」にするつもりはありません。

でも、そのストレスの「出どころ」は、あなた一人の中にあるわけじゃないんです。

「これくらいできて当たり前」という水準を決めたのは、あなたではありません。「家のことはこの役割の人がやるもの」という前提を作ったのも、あなたではありません。あなたは、外から渡された高すぎる基準と、自分の今の状態とのあいだで板挟みになって、その差を全部「自分のせい」として引き受けてきた。

100人いれば、暮らしは100通りあります。家族の人数も、働き方も、体力も、その日の調子も、みんな違う。それなのに、たった一つの「ちゃんとした家事」の基準に全員が合わせようとするから、合わなかった人が「私はダメだ」と感じてしまう。合わなかったのは、あなたが至らないからじゃなくて、その基準がたまたまあなたの暮らしに合っていなかった、というだけのことだったりします。

だから「家事ができない」ストレスは、あなた一人で背負う話じゃない。社会の側で作られてきた基準を、一人で全部引き受けさせられてきただけ、なんですよね。

「主婦なのに」を、いったん下ろしてみる

「家事ができて当たり前」は、ずっと昔から決まっていたことじゃなかった。「主婦なのに」は、外から来た言葉だった。家事の担い手も、その水準も、家の数だけ違っていい。だとしたら、あなたが今までしんどかったのは、あなたが至らないからじゃない。

そのうえで、もしよかったら「主婦なのに、家事ができない」を、いったん肩から下ろしてみてほしいんです。

「主婦なのに、できない私はダメだ」ではなく、「この基準、そもそも誰が決めたんだろう」。自分を責める前に、その基準のほうを一度疑ってみる。同じ「できない」でも、向きが変わると、ずいぶん景色が変わります。

その先にある「じゃあ、自分の暮らしに合う形ってどんなだろう」は、ここではお伝えできません。あなたに合う暮らしの形は、あなたの家の中にしかないからです。

この記事は、たくさんある言葉の、ひとつだけ

この記事で扱ったのは、あなたを責めてきた言葉の、ほんのひとつです。

「片づけられない」「家事ができない」をめぐる言葉は、ほかにもたくさんあります。主婦なのに、だらしない、ADHDだから、捨てられない、”ゴミ屋敷”……。そのどれもが、いつ・誰によって・なぜ作られたのか。そして、その言葉と、どう付き合っていけばいいのか。

10月に発売予定の本『「片づけられない」は、誰が決めたのか』では、13の言葉を一つずつ、ていねいに読み解いています。「主婦なのに」という言葉が、いつから・どんなふうに人を追いつめる道具になっていったのか。読み終わるころに、「主婦なのに」のかわりに、「うちは、うち」と言えるように。


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吉村 あきこ

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。

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