散らかった部屋は、あなたの心を映す鏡じゃない ST06

「散らかった部屋は、心の状態を映す鏡」という言葉を、一度も聞いたことがない人はめずらしいと思います。片づけの本を開けば最初のほうに書いてあるし、テレビでも言っているので、すっかり当たり前の真実のような顔をしています。

この言葉のこわいところは、部屋をただの部屋として見せてくれなくなることです。部屋が散らかっているのを見ると自分の心まで荒れている気がして、片づけができる人は人柄まできちんとして見え、自分は「そうじゃないほうの人間」だと思ってしまう。オーガナイズの現場で、こうした話を何度も聞いてきました。

「だらしない」や「意志が弱い」は、まだ行いや能力の話です。ところが「心の鏡」は、あなたの行動ではなく心そのものが乱れていると言ってきます。「片づけられなかった」で止まらずに「片づけられない私は、だめな人間だ」まで一気に飛んでしまうので、どこから直せばいいのかさえ分からなくなるんです。

この記事は、部屋が散らかっていることで自分の心まで責められている気がする人に向けて書いています。

部屋が散らかる理由は、心だけではない

締め切りが近くてやることが多く頭の中の容量を目の前のことが全部使っている時期には、脱いだものが床に積まれ、郵便物が開けられないまま重なっていきます。そこに出ているのは心の乱れではなく、忙しさや疲れで手が回りきっていないということです。心が荒れているから部屋が荒れたのではなく、いま余力がないから後回しにできることが後回しになっています。

体のことも同じです。夜に子どもを寝かせたあと、床に落ちたものを定位置まで戻すほんの数歩を歩く力さえ残っていない日があります。一日で使えた体力が底をついているだけで、そこから片づけだけを特別に引き出すことはできません。

入る場所より物が多ければ、あふれます。小さな部屋に暮らしに必要なものを全部詰めれば散らかって見えますが、そこからわかるのは住む人の心ではなく部屋の広さです。

散らかりと心がまったく関係ないと言いたいわけではありません。落ちこんでいるときに動けなくなって、結果として部屋が荒れることはあります。けれど、しんどいときに体が動かなくなるのは自然な反応で、部屋を見ただけで心に白黒をつけられるという思いこみとは別の話です。

「鏡」は、もとは自分を映すものだった

部屋と心を当たり前に重ねてしまう感覚は、ずっと古くからあります。この国では長いあいだ、掃除をすることがそのまま自分の心を磨くことだと言われてきました。修行の場では、掃除はただの雑用ではなく心をととのえる大切な務めとされ、場が清められていくのと自分の心が澄んでいくのがひとつのこととして受けとめられてきました。特定の宗教だけのものではなく、この国に暮らす人の体にしみこんでいる感覚です。

海の向こうにも似た言葉があります。アメリカのアニー・リックス・ミリッツは、1910年の『Spiritual Housekeeping』にこう書いています。

「あなたの体は、あなたの家。あなたの心は、あなたの庭。あなたの人となりは、その土です。そのすべてを治めているのは、家の主であるあなた自身の魂なのです。」

ただ、掃除を心の修行とする考え方も、家と魂を重ねるこの言葉も、もとは自分を整えるためのものでした。よその家をのぞいて点数をつけるための物差しではありません。

鏡は、朝に寝ぐせを直すときのように、のぞきこんでいる自分自身を映すために使うものですよね。「部屋は心の鏡」という言葉も、はじめは自分の部屋を見ていまの自分に気づき、ととのえていくための自分用の鏡だったはずです。それがいつからか、他人の部屋を見て「あの人は心が乱れている」と決めつける道具になり、自分の部屋が片づいていないときにも「私の心まで乱れている」と思わせるようになりました。

掃除で心が澄んでいく時間が人を支えることは、たしかにあります。引っかかっているのはその考え方ではなく、自分を整えるための言葉が、他人と自分を採点する道具に変わってしまったことのほうです。

その言葉を、最初に渡したのは誰だったか

この言葉を、たいていの人は自分で考えついたわけではありません。子どものころ家で「部屋がきれいな子はえらい」と言われ、片づいていないと肩身が狭かったという話もよく聞きます。

言った側にどんな事情があったとしても、言われてつらかったことは変わりません。家の状態で人柄を決める考えを、これからも自分に当てはめる必要はないし、自分が言われた言葉をほかの人にそのまま言う必要もありません。受け取ってしまった重さを、あなたが自分のところで下ろしていいんです。

部屋と自分を、切り離してみる

部屋を片づけて心を整えようとすると、きれいにできたら心も整い、できなかったら心が乱れているという同じ鏡に戻ってしまいます。だから、部屋と自分をいったん切り離してみてください。物をどこに置くかは、心のよしあしとは別の話です。

もし一つだけ動かすなら、心を磨くためではなく、明日の自分が少し暮らしやすくなるように動かしてみる。毎朝かならず探しものをしている場所が家の中に一つあるはずです。鍵かもしれないし、メガネかもしれないし、よく使う薬かもしれません。それを「いつもここにある」と決めて、明日の朝に探さなくて済むように定位置を一か所だけ作ります。

一か所うまくいっても心が立派になったわけではないし、できなかった日があっても心が乱れているわけではありません。

本では、13の言葉を一つずつ読み解いています

「心の鏡」は、片づけをめぐって人を責めてきた言葉のひとつです。10月3日に発売する本『片づけられない自分を、だめだと思う前に』では、「だらしない」「捨てられない」「意志が弱い」といった13の言葉がどこから来て、どうして人を責める言葉になったのかを一つずつ読み解いています。

第4章「心の鏡」ではこの記事の話を、現場で聞いてきた声とあわせてもう少し詳しく書きました。


10月3日、Kindleで発売します

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吉村 あきこ

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。

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