片づけが終わった直後の部屋を、ずっと保ちたいと思うことがあります。床には何もなく、テーブルも空いている。写真を撮りたくなる景色です。
ところが、暮らしが始まれば物は動きます。朝に使った薬、届いた郵便物、途中まで読んだ本、帰宅後に置いたバッグ。散らかさないように気を張り続けると、部屋を使うことまで窮屈になります。
『荘子』の最初の篇は「逍遥遊」と呼ばれます。題名は、何ものにもとらわれず自由に遊ぶ境地として読まれてきました。
見える世界は、立つ場所で変わる

「逍遥遊」の冒頭には、巨大な魚の鯤が鳥の鵬へ変わり、はるか高く飛ぶ話があります。近くを飛ぶ小さな鳥は、なぜそんな遠くまで行くのかと笑います。
大きいほうが優れていて、小さいほうが劣っているという単純な比べ方ではありません。生きる範囲や時間が違えば、見えるものも、必要な備えも違う。自分の経験だけで相手の行き先を測れないことが描かれています。
同じ篇には、世の中全体からほめられても励まず、非難されても落ち込まない人物が登場します。それでも十分ではないと話が続くところに、『荘子』らしい慎重さがあります。外の評価を気にしなければ完成、という簡単な結論にはなりません。
部屋を評価する人は、そこで暮らしているか

整った部屋の写真は参考になります。ただ、写真からは、その家の朝の忙しさや、体調が悪い日の動き、家族が物を戻す様子までは分かりません。
写真に近づけるほど暮らしやすくなるとは限りません。床に物がないことが安全につながる家もあれば、毎日使う物を手の届く場所へ出しておく必要がある家もあります。
来客からどう見えるかを優先したい場所もあります。それ自体が悪いわけではありません。ただ、家のすべてを来客用の基準で整えると、暮らす人が毎日合わせ続けることになります。
散らからない部屋より、戻り方が分かる部屋

生活しているあいだ、部屋の状態は動きます。目標を「一度も散らからない」に置くと、使った物が出るたびに失敗になります。
代わりに、戻す場所が決まっているか、途中の物を受け止める場所があるか、見直す時期が分かるかを確かめます。
食卓は夕食前に一度戻す。郵便物はトレーへ集め、週に一度見る。バッグは棚へ入らなくても、通路をふさがない置き場所へ戻す。部屋全体を完成させなくても、次の生活が始められるところまで戻せます。
自分が戻りたい状態を決める

「きれいな部屋」では、人によって思い浮かべる景色が違います。もう少し具体的にします。
朝、探し物をせずに出かけられる。食卓で食事ができる。夜、床を気にせず歩ける。必要な書類を期限までに出せる。自分が暮らしの中で戻りたい状態を一つ選びます。
次に、その状態へ戻すための場所と時間を決めます。鍵の置き場所、書類の受け皿、5分だけ見直す時間。全部を同時に整えず、一番困っている場面から作ります。
古典を新しい物差しにしない

このシリーズでは、『老子』の無為、知足、空、水と、『荘子』の視点や無用、逍遥遊を片づけに引き寄せて読みました。
老子のように暮らす、荘子のように考えることを新しい正解にするためではありません。古典の言葉に触れて、今まで使っていた物差しをいったん離し、自分の暮らしを別の位置から見るためです。
収納が乱れたら、元の方法を守れなかった自分を評価する前に、暮らしのほうが変わっていないかを見る。物が多いと感じたら、誰かの数へ合わせる前に、自分が使い、管理できる量を確かめる。思い出の品に迷ったら、実用以外の意味も聞いてみる。
完璧な部屋を保つことより、暮らしが動いたあとに、どこへ戻ればよいか分かること。その状態なら、片づけは一度きりの完成ではなく、生活の中で調整を続けられます。
参考資料
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ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。




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