『発達障害を見過ごされる子ども、認めない親 』

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※旧ブログからの移行記事です

『発達障害を見過ごされる子ども、認めない親 』

著者はご自身も発達障害だという心療内科医の星野仁彦さん

発達障害についての説明や子どもと親の関係、遺伝の可能性、
のび太型とジャイアン型、モンスターペアレント、
なぜ親は認めない、気づかないのかなどが書かれていました。

二次障害という言葉があります
発達障害の症状の例でいうと落ち着きがない、学校の勉強がうまく理解できない
などの困っている状態が一次的な障害だとすると
それが原因でからかわれたり、叱られたり怒鳴られたり何度も注意されることで
自分はできないと自信をなくしたり、自分を傷つけてしまったりして
ココロやカラダに不調をきたしたり、人とのかかわりを拒否してしまったり
他者に攻撃的になってしまったり そんな状況が二次障害。

「発達障害の子どもの親というのは、周囲の人から子どものことで注意されたり、
「しつけがなっていない」といった目で見られたりしやすく、
だれの話も聞きたくないと心を閉ざしていることが多い」」

これ、よーくわかります。
最近、過去の保育園との連絡ノートや記録を見返すことがありました。
0歳の頃「こんなことができるようになった」「こんなことに取り組んでいます」
と書かれていた記録が、だんだん年齢が上がるについれて「こんなところにつまづいています」
「こんなことが起きてしまいました」「ここが困っています」と書かれていることが増え、
私のコメントも子どものできないところばかりを「がんばります」「やってみます」ばかり。

たぶん「こだわり」という言葉を連呼されたことも要因のひとつ・・

周囲には傾向がありそうなお子さんでも「うちの子は元気だから」という方もいれば、
私はどちらかというと0歳の頃から子どもの傾向を「あれ?もしかして?」と思いながら
見ていたタイプです。
もしその傾向があるならできることはなんだろうなと考えていました。
でも、「認めない親」ではないと思っていたけどノートを見返すと、
認めてはいても理解しようとはしていなかったんだなぁと反省しました。

心を閉ざしている親には伝え方を工夫して子どもの置かれている状況に気づいてもらう
ということも書かれていました。

「こだわり」という言葉で私が拒否反応を示したように、どのような声かけなら私は受け入れられたのか?とも考えます。

先日発達障害を持つ当事者の方の講演にも参加したときにきいた
「発達障害を知ろうという動きには、障害を知って支援をしようという動きと
早めにきづいて排除しようという動きがある」
という言葉。

自分と違うことを受け入れがたいのは、防衛本能としてごく自然のことではあります。
しかし、何もかも拒否をして排除(だけでなく攻撃)してしまうのとは違うわけで・・・

異質・防衛本能について調べているとこのような記事を見つけました。

「イジメの本質!異質を排除するのは何故?」

排除の論理をなくすには、不安や恐怖を取り除くために、物事の本質を知ることです。

 

うーん、難しい。

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