先日、ICD(米国のCD研究団体)のライブクラスを受講しました。テーマは「CDのサイクルを断ち切ることはできるのか(Is it Possible to Break the CD Life Cycle? From a Lived Perspective.)」。
CD(Chronic disorganization)というのは、慢性的に片づけられない状態のことです。
講師のアリソン・ラッシュさんは、この分野を代表する専門家のひとりでJALOのカンファレンスにも数回登壇されている方です。かつてご自身が慢性的に片づけられない状態の当事者だった方です。
問いの答えはクラスのタイトルで先に示されていました。「YES」。
ただし根拠のない励ましではなく、9か国のクライアントと毎週続けているグループセッションから、25名分の記録を分析した現場からの報告でした。
ここでは、個人として心に残ったことを書いておきます。
「行き詰まっていないか」という物差し
いちばん残ったのは、この言葉です。
決定的なのは、やるべき作業が残っているかどうかではなく、その人が「行き詰まり」を感じているかどうか
やることが残っていても、「まだあるけれど、私はやれる」と思えているなら、その人はもうサイクルの中にいない。だから私たちの支援が目指すのは、完璧に片づいた家ではなく、自分で前に進めるという感覚のほうだ、ということです。
14年現場に立ってきて、頷くしかありませんでした。私が「がんばる片づけより、もどれるしくみ」と言い続けてきたのは、たぶん同じことを言っているのではないかと感じました。崩れない暮らしではなく、崩れても戻れる暮らし。片づいた状態ではなく、行き詰まっていない状態。
私自身も、よくあるインスタで見るような美しい部屋ではないですが、仕事や自分のやりたいことに集中するために最低限の家事でまわる家を維持しています。
恥の風景は、国が違っても同じだった
クラスでは、支援を始める前のクライアントの言葉がいくつも紹介されました。そのひとつが、「恥はブラックホールのよう」。
日本の現場で聞いてきた言葉と、驚くほど重なります。散らかった部屋そのものより先に、恥と、自分を責める気持ちが積み上がっている。部屋の状態は国によって違っても、内側の風景は同じなんですね。
この秋に出す本で、私は「片づけられない」をめぐって人を責めてきた言葉を、ひとつずつ読み解いてきました。だから、アリソンさんの「恥は、安全な場で語られると力を失う」というコメントは、他人事に聞こえませんでした。責める言葉を外すことと、安全な場をつくること。入り口は違っても、向かう先は同じだと思います。
明日の現場で使いたいもの
クラスの終盤で紹介された工夫のなかから、ふたつ持ち帰りました。
ひとつは「できたことリスト」。
やることリストの反対で、今日できたことを書き留めていくものです。
もうひとつは、「作業する前に、まずその場所を訪ねるだけでいい」という提案。
どちらも、どう片づけるかというやり方というよりは、自分を責める声を軽くするための手法だと受け取りました。現場で少しずつ使ってみるつもりです。
おわりに
クラスの土台に置かれていた言葉があります。「プロジェクトは、家ではなくあなた自身」。片づけの主役はモノでも収納でもなく、その人。ライフオーガナイズが大切にしてきた考え方と、深いところで響き合うクラスでした。学んだことは、これからの現場と、ここでの発信に混ぜていきます。
クラスの詳しいレポートは、JALOの公式ブログに書きました。
CD(慢性的に片づけられない状態)について、責めずに理解するための入口は、こちらにまとめています。
→ CD(慢性的に片づけられない状態)とは

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。




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