「ゴミ屋敷」の原因を”だらしない”で片づける前に、読んでほしい ST03

「ゴミ屋敷」という言葉で検索して、ここにたどりついた方へ。

この記事は、片づけ業者を紹介する記事ではありません。「すぐに片づけましょう」と急かす記事でもありません。ご自身の家のことで悩んでいる方、家族の家が心配で調べている方が、誰かを責める前に一度立ち止まって、その状態をていねいに読み解くための記事です。

なぜわざわざ最初にこれを書いたかというと、「ゴミ屋敷 原因」と調べたとき、いちばん多く目に入ってくるのが「だらしないから」「異常だから」という見方だからです。その見方をいったん横に置いて、もう少し別の角度から考えてみませんか、という話をします。

そもそも「ゴミ屋敷」って、誰が決めた呼び方なんだろう

まず、言葉のことから。

「ゴミ屋敷」というのは、外から貼られた呼び名です。その家に住んでいる人が、自分からそう名づけたわけじゃない。たいていは、近所の人やテレビや記事が、ある状態の家をまとめてそう呼ぶようになった。いつのまにか、それが当たり前の言葉として広まりました。

ここで一度、立ち止まってみてください。

その呼び名には、最初から「だらしない」「異常」という判断がくっついています。「ゴミ屋敷」と聞いた時点で、もう私たちは「住んでいる人はちゃんとしていない人だ」と思うようにできてしまっている。言葉そのものが、住んでいる人を責める道具になっている、ということです。

でも実際には、その「ゴミ」とひとくくりにされている物たちも、そこに至った背景も、家ごとにまったく違います。ひとつの言葉でまとめられているだけで、中で起きていることは、ひとつじゃないんですよね。

「ゴミ屋敷」の原因は、ひとつじゃない

「ゴミ屋敷 原因」と検索した方が、いちばん知りたいのはたぶんここだと思います。だから正直に書きます。

原因は、ひとつではありません。そして、多くの場合「だらしないから」ではありません。

そう呼ばれる状態の裏には、いろんな背景があります。どれも、外から見ただけでは分からない事情です。たとえば、物を手放すことそのものが、とても難しい状態にあること。気持ちが落ちこんで、体が動かない時期が続いたこと。大切な人やものを失って、その喪失を抱えたまま、時間が止まってしまったこと。体調や年齢で、思うように動けなくなったこと。まわりに頼れる人がいないまま、ひとりで抱えてきたこと。それから、外から「ゴミ」に見える物のひとつひとつに、その人にしか分からない意味があること。まだ使うかもしれない物、思い出のある物、いまは決められない物。外からは、その区別が見えません。

これらは、ぜんぶ別の話です。そして、ひとつの家の中で、いくつも重なっていることも珍しくありません。

ここで気をつけたいのは、こうやって背景を並べることが「だから病気なんだ」という話にすり替わらないようにすることです。背景はさまざまで、人によって違う。それを「○○だからこうなった」とひとつの理由に決めつけてしまうと、それもまた、別の種類のレッテルになってしまいます。私が言いたいのは逆で、ひとつの言葉でまとめられないくらい、それぞれに事情がある、ということなんです。

だから「だらしないから」という説明は、いちばん簡単で、いちばん雑な答えなんですよね。簡単だから広まるけれど、簡単すぎて、その家で本当に起きていることには、ほとんど何も届いていない。

「だらしない」と「異常」は、誰が作ったのか

ではなぜ、これだけ背景が違うのに、「だらしない」「異常」という見方ばかりが広まったのか。

ひとつには、そのほうが分かりやすいからです。物が多くて足の踏み場がない家を見たとき、そこに至るまでの何年もの事情を想像するより、「この人はだらしない」と一言で片づけるほうが、見るほうにとってはずっと楽なんです。

もうひとつは、その状態が、ときどき面白おかしく、あるいは大変な見世物のように扱われてきたからだと思います。そういう扱われ方が繰り返されるうちに、「ああいう家=特別に変わった人の家」という見方が、私たちの中にしみこんでしまった。

つまり、こうしたレッテルは、その家に住んでいる人が作ったものではありません。外から、何度も繰り返されるうちに、いつのまにか「常識」みたいな顔をして居座るようになった見方です。

そしてこのレッテルがいちばんつらいのは、住んでいる本人にまで取りついてしまうことです。「私はだらしない人間だ」「私はおかしいんだ」。外から来た言葉が、自分の声みたいになって、内側から自分を責める。そうなると、助けを求めることさえ「こんな私が相談していいわけがない」とためらってしまう。レッテルが、頼ることへの壁にまでなってしまうんですよね。

責めるためではなく、責めをほどくために

整理すると、こういうことです。「ゴミ屋敷」は外から貼られた呼び名だった。その原因はひとつではなくて、人それぞれの背景があった。そうした決めつけは、いちばん雑な答えで、しかも外から来た見方だった。

だとしたら、ご自身を、あるいはご家族を、そうした言葉で責める必要は、ないんです。

ご家族の立場で読んでいる方へ。ここまで「責めないで」とばかり書いてきましたが、家族には家族のしんどさがあると思います。何度も言ってきた。それでも変わらない。心配で、腹も立って、そんな自分にも疲れている。その気持ちまで責めるつもりはありません。責めをほどきたいのは、そちら側の肩も同じです。

この記事は、誰かを責めるために書いていません。責めをほどくために書いています。なんとかしたい、と思っている方も、いまはそこまで考えられない方も、どちらもいると思います。でもその前に、「自分(家族)はだらしないからこうなった」という、いちばん重くて、いちばん事実から遠い思いこみを、いったん下ろしてほしい。下ろせたほうが、次の一歩を考えやすくなるからです。

それから、この状態はひとりで抱えこまなくて大丈夫です。背景がどうであっても、責められずに相談できる先はあります。

たとえば、お住まいの自治体の福祉の相談窓口。高齢のご家族のことなら、地域包括支援センター。どちらも、片づけを請け負う業者とは別の入り口です。いきなり家を見せなくても、話を聞いてもらうところから始められます。体や心の調子が長く落ちている感じがあるなら、片づけより先に、そちらを相談できる場所もあります。誰にどう頼ればいいのか、どんな順番で考えていけばいいのか。そこはもう少し長い話になるので、本のほうでていねいに扱っています。

「ゴミ屋敷」のほかにも

この記事で扱ったのは、「片づけられない」をめぐる言葉の、ほんのひとつです。

ほかにも、たくさんあります。ADHDだから、ミニマリストになれない、物が捨てられない、だらしない、主婦なのに……。どれも、いつのまにか「常識」の顔をして、誰かを責める側に回っている言葉です。

10月に発売予定の本『「片づけられない」は、誰が決めたのか』では、あなた(や家族)を責めてきた13の言葉を、一つずつ読み解いています。「ゴミ屋敷」という呼び名が、いつから・どんなふうに人を責める道具になっていったのか。その背景にあるさまざまな事情と、ひとりで抱えなくてもいいこと。責める言葉のかわりに、事情を見る目が、ひとつ増えるように。


この秋10月、Kindleで発売予定です

『「片づけられない」は、誰が決めたのか』
あなたを責める13の言葉を、片づけのプロが読み解く

吉村 あきこ

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。

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