「捨てられない人」という言い方は、たいてい少し困った人という響きで使われます。物をためこんで決断ができず、いつまでも昔のものを抱えている。執着が強くて前に進めない、というふうに。
でも、手放せないでいるものを一つ思い浮かべてみてください。子どもが小さいころに着ていた服や、もう会えない人からもらった手紙、いつか使うかもしれないと思っている箱。そのどれにもたぶん理由があって、あなたが手放せずにいるのは物そのものよりその物につながっている何かのほうだと思います。
オーガナイズの現場でたくさんのお宅に伺ってきましたが、「捨てられない」と言ってご自分を責める方はほんとうに多いんです。物が多いことより「私は捨てられない、だめな人間だ」と思うところでいちばん苦しんでいます。
この記事は、物が捨てられない原因を調べているうちに自分を責めはじめていた人に向けて書いています。捨てるコツの話ではなく、「捨てられない自分=ダメな自分」という見方をいったん疑ってみる話です。
「捨てられない」の中身を出してみる
「捨てられない」という言葉は、いろいろな事情をひとまとめにしています。中身を出して分けてみると、それぞれがぜんぜん違うんです。
思い出があって手放せない物は、捨てる捨てないというより記憶の話です。物が出来事や人とつながっているので、手放すとその記憶までどこかへ行ってしまう気がする。これは執着ではなく、物に意味を見いだすごくふつうの心の働きです。
いつか使うかもしれないと取ってある物には、本人なりの見通しがあります。また要るかもしれない、買い直すのはもったいないという読みが当たることもあれば外れることもあるだけで、人格の話ではありません。
決められずにとりあえずそのままにしてある物は、少し事情が違います。手放したくないというより、決める作業そのものがしんどいんです。残すか手放すかを一つひとつ判断するのは思っているより頭を使うので、疲れているときや数が多いときはなおさらです。決められないのは意志が弱いからではなく、決める力にも限りがあるからです。
置き場所がなかったり、手放す方法やタイミングがなかったりして、なんとなく残っている物もあります。こうなると、もうほとんど物理的な話ですよね。
こうして出してみると「捨てられない」とくくられていたものには、思い出も見通しも疲れも置き場所の問題も混ざっています。それを「執着」の一語でまとめると、全部があなたという人間の弱さの話にされてしまいます。
ちなみに、こうした理由を「誰からもらったか」「思い出」「時間」のような物差しとして眺め直す話は、分類の軸の話として別の記事に書いています。
だからといって、全部とっておいていいと言いたいわけではありません。物が増えすぎて暮らしが回らなくなることは実際にありますし、手放したほうが楽になることもたくさんあります。言いたいのは、手放せないこと自体を「執着」や「未熟」という人格の言葉で呼ぶのは違うということです。
「少ないほうがえらい」は、どこから来たのか
物に意味を見いだすのは自然なことなのに、どうして私たちはその気持ちを「執着」「未熟」と感じてしまうのでしょう。
そこには「物は少ないほうがいい」「持たないほうが心が整っている」という物差しがあります。この感覚はとても古くて、海の向こうにもこの国にも昔から欲を少なくするのはよいことだという考え方がありました。
もとをたどると、それは自分の心を整えるための教えでした。物を減らして自分の内側を静かにしていく、修養の一つだったんです。ところが、それがいつのまにか人を測る物差しに変わりました。少なく持てる人は立派で、たくさん持っている人は欲が深くて未熟だと、よその人を採点するのに使われるようになったんです。
最近は「すっきり手放せる人」のほうが上等な人のように語られることもあります。でも、これも同じ物差しの新しい形です。「片づけられない=だめ」を裁いていた物差しが、今度は「手放せない=だめ」を裁いていて、人を上下に並べる仕組みはそのまま残っています。
いま「手放せない自分は未熟だ」と感じているなら、それはあなたが本当に未熟だからではなく、誰かを採点するようになった古い物差しを自分にあてているからかもしれません。
手放すかどうかは、あなたが決めていい
「全部とっておきなさい」も「全部手放しなさい」も、どちらもあなたの外から来る命令です。たくさん持つのが正しいわけでも少なく持つのが正しいわけでもなく、あなたが心地よく暮らせる量をあなたが決めればいいんです。
やることは「捨てる」ではなく「選ぶ」です。目の前にいくつか物があるとき、まず一つだけ「これは残す」とはっきり意識して選んでみてください。なんとなく取っておくのではなく、自分で残すと決める。
「捨てられない」と責められているとき、人はだいたい物に振り回されている感じがしています。そこで「これは残す」と自分で選ぶと、私がこれを選んで持っているという感覚に変わります。手放すときも同じで、減らすために手放すのではなく、自分で選んだから手放す。順番が入れ替わるだけで、ずいぶん気持ちが違います。
一つ選べたら、今日はそこで終わりにしてかまいません。
本では、13の言葉を一つずつ読み解いています
「捨てられない」は、片づけをめぐって人を責めてきた言葉のひとつです。10月3日に発売する本『片づけられない自分を、だめだと思う前に』では、「だらしない」「捨てられない」「意志が弱い」といった13の言葉がどこから来て、どうして人を責める言葉になったのかを一つずつ読み解いています。
第2章「捨てられない」ではこの記事の話を、現場で聞いてきた声とあわせてもう少し詳しく書きました。
あわせて読む
「捨てる」を正解にしない話で言えば、もう一冊あります。『捨てるからはじめない 片づけのプロは何を「捨てた」のか』では、捨てることを出発点にしない片づけの考え方を書きました。この記事が捨てられない自分を責めなくていいという話なのに対して、あちらは捨てないという選択を肯定する話です。
▶ 『捨てるからはじめない 片づけのプロは何を「捨てた」のか』を見る
じゃあ、どう分ければいいのかを考えるときの道具としては『分類の軸辞典』があります。いる・いらない以外の48の物差し(軸)を辞典にした本で、Kindleで発売中です。
▶ 『分類の軸辞典 分けるを制するものは、片づけを制す』を見る
10月3日、Kindleで発売します
『片づけられない自分を、だめだと思う前に』
「だらしない」「意志が弱い」「ADHDだから」…そう言われて疲れた人へ

ライフオーガナイザー®として、特にADHD傾向のある方や片づけが苦手な方をサポート。完璧主義や罪悪感、思い込みなど、片づけの障害となる心理的要因に寄り添い、無理なく続けられる仕組みづくりを提案しています。
2012年からこの分野を学び、2023年にアメリカの専門団体「Institute for Challenging Disorganization®」にて日本人初のCPO-CDを取得。
「片づけの負担を減らし、自分らしい人生を楽しめる人を増やしたい」との思いで活動中。




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